【要約・感想】ザイム真理教~それは信者8000万人の巨大カルト~

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3行紹介

ザイム真理教

①財政均衡主義は短期的にも長期的にも間違っている。
②日本の財政は破綻状態ではなく、実際は先進諸国の政府と比べてもほとんど遜色はないレベルである。
財政均衡主義による増税に対しては、貧しくても自給自足に近い生活を送る方が自由で幸せな生活を送れるのではないだろうか?

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・そして、もう一つ、強調しておきたいのは、財政均衡主義は、長期的にも間違っているということだ。じつは財政の穴埋めのために発行した国債を日銀が買ったときには、その時点で事実上政府の借金は消えるのだ。

・古代から封建への転換期に生まれた浄土真宗や日蓮宗などの鎌倉仏教、封建から近代の転換期である明治維新に生まれた天理教や 金光教 などの新宗教、近代から現代への転換期である太平洋戦争の終結によって生まれた新興宗教、日本に現れた宗教の多くが、この3つの時代の転換期に集中している。その理由を笠原教授は、時代の転換期に発生する社会的混乱と生活困窮に求めている。

・宗教団体が信仰を生み出すために使う説教は、大きく二つある。一つは、「こういう行動をすれば、幸せになれる、天国に行ける」というプラス方向の説教であり、もう一つは、「こうしたら、あるいはこうしなかったら、不幸になる、地獄に落ちる」というマイナス方向の説教だ。

・財務省は、自らが作り上げた財政均衡主義という教義を持ち、その教義を正当化するために「日本の財政は破綻状態だ」と国民を脅す神話を作り上げてきた。

・オーストラリアの中央銀行であるオーストラリア準備銀行の純資産がマイナスになったことが2022年9月 21 日に明らかになったのだ。  大量に買い入れた国債などの債券の評価損が膨らんだためで、藤巻氏が日銀に警告してきたのと同じ理由でオーストラリア準備銀行は、債務超過に陥ったのだ。この日、シドニーで講演したオーストラリア準備銀行のブロック副総裁は「中央銀行の負債は政府が法的に保証しており、中央銀行にはお金をつくる能力があるため、破綻することはなく、支払い能力にも問題はない」と主張した。その後、何が起こったのかというと、じつは何も起こらなかったのだ。市場参加者は、中央銀行の債務超過には関心を持たなかったというのが現実に起きたことだった。

・私は、金融緩和は実現したけれど、財政出動をまったくできなかった、特に二度にわたる消費税率引き上げが、経済の悪循環をもたらしてしまったからだと考えている。

・国債を増発しても、日銀が国債を買い取れば、金利上昇は抑えられる。ただ、財務省は、経済学を無視する役所だ。東大法学部が支配しているから当然なのかもしれないが、彼らの行動原理は、一円でも多く増税し、一円でも歳出をカットするという財政緊縮路線だ。

・2010年度の国民負担率は、 37・2%だった。それがどんどん上がっていって、2022年度には 47・5%と、ほぼ5割に達している。働いても半分が税金と社会保険料でもっていかれる計算だ。

・日本の所得税制は累進課税制度になっているから、所得が増えるほど税率が上がる構造になっている。確かに所得が1億円までは、そのとおりになっているのだが、所得が1億円を超えると、所得税・社会保険料負担率が急激に下がっていくのだ。特に年間所得 50 億~100億円の階層の負担率は、年間所得200万~250万円という庶民よりも低いという許しがたいことが起きているのだ。

・たとえば、国外転出時課税制度だ。現在、海外移住する人が持つ有価証券等については出国時に課税されるが、そこには暗号資産は含まれていない。暗号資産で1000億円儲けて、それを日本で現金化すれば、半分が税金で取られる。ところがドバイに移住して売却すれば無税になってしまうのだ。

ザイム真理教~それは信者8000万人の巨大カルト~(2023).森永 卓郎 (著)、フォレスト出版

読書感想文

本書に書かれていることが正しいのかどうかは置いておいて、今回自分が読んで一番驚かされたのは著者が大手出版社に原稿を持ち込んだ時に、細かい表現の次元ではなく「そもそもこのテーマの本を出すことができない」と言われた点だ。

著者はたくさん本を書いているので実績がない訳ではない。

こと、このテーマに関しては言論の自由というものがTVだけではなく出版の世界にも制限があることに驚いた。
※個人的にはどの大手出版社から断られたのか細かい点が気になる

本書にはあるTV番組のプロヂューサーから「政権批判をするコメンテーターはもう使わない」と断言したとの噂もある。

ネットの世界では「政権批判」のニュースばかり目がつくが、もはやマスメディアというはのは、新聞・書籍・TVといった古くからある制限が強いメディアと、新しいYahooニュースやYoutubeをはじめとする制限が緩い新しいメディアとの分断が深くなっているのかもしれないと思った。

現在は完全な情報過多の時代にあると思う。

情報が簡単に取れるというのはメリットもあるし、情報を選択するという意思疲れというデメリットもあるが、自分は情報を自分で取って、その情報について正否を判断し、自分で選択できるという時代に生まれて良かったと思う。

ただ、その分どうしても他者と自分とが容易に比較されてしまうという点では、幸せになるには技術が必要とも思う。

やはり世界は自分だけが存在しているのではなく、他者との影響を受けながら生きていくという点から、自分の選択が誰かの恣意的な操作がされていないかどうかを、細かくチェックしていく必要があると思った。

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